20231112NHKクラッシックコンサート

ジョン・ウィリアムの曲だけをやっていた。後半はジョン本人が指揮をとっていた。テレビコンサートで涙を流すくらい感動したのは初めてだ。最後に小澤征爾さんも車椅子で登場した。何と感動的な番組なんだ!ジョンも多分80代後半だろう。充分楽しんだ人生充実した人生だと思う。辛いこともあったと思うけど。それにしてもすごい福耳だった。

最近は小説を読んでも、映画を観ても、音楽を聴いても、自分で楽器を吹いても涙が出ます。歳とって感受性が高くなってしまったみたい。

*投稿するのを忘れていました。

ベトナムのポップスにハマりました

 昨年のベトナム出張で、その発展の度合いに驚いた私だが、趣味のVenova(ベノーバ:前の記事を参照していただけるとありがたい)を使ってベトナムのサックス奏者がとてもよい曲をYouTubeにUPしていたのが気になっていた。その曲名は「Trời Giấu Trời Mang đi」というのだが、まず読み方がわからない。コピペして検索すると「出るはでるわ!」実はベトナムではかなりメジャーな歌姫であるAMEEの代表曲だった。ベトナムのPOPは多少韓国POPsの影響を受けているようだが日本人になじみやすい曲が多いと思う。興味のある人はYouTubeで検索して聴いてみて欲しい。

読書記録「リラの花咲くけものみち」藤岡陽子著

 私は著者の藤岡陽子さんもこの本の存在も知らなかった。あるとき新聞を読んでいると小さな記事が目にとまった。そこには「リラの花咲くけものみち(光文社)刊行記念講演 講師 藤岡陽子さん「獣医学のおもしろさ」と書いてあった。新聞に獣医学のことが掲載されることはとてもめずらしい。しかも私はこの分野に何故か詳しい。抽選だが「無料招待」と書いてあったので、すぐに応募した。

 講演会は折しも文化の日だった。本の著者の講演会に参加するのは初めてなので、緊張してしまった。会場には100名ほどの人がいたと思う。入り口で本の販売もしていたが、まずはお話を聞いてから買うかどうかを決めようと思った。藤岡陽子さんは京都の出身で同志社大学文学部を卒業(頭がいいんですね)、新聞社に勤めたそうだ。その後が少し変わっていて、退社後はアフリカの大学に留学して、またその後に看護師になったという経歴を持つ。作家になってからは看護師を題材とした作品もあるらしいが、なにせ何も読んでいない。ちなみに現在も看護師と作家の二足のわらじだそうだ。私の印象は「とても元気な女性!」だった。

 この本は幼いときに母親に死に別れて、継母と上手く関係ができず、ひきこもりになった岸本聡里が獣医大学に入学し、徐々に社会性を取り戻し、卒業後は産業動物獣医師になる物語である。著者がこの本を書こうと思ったのは、娘さんが酪農学園大学獣医学類に入学したのがきっかけだそうだ。先ほども書いたが、藤岡さんは元気で好奇心も強い性格だと思う。なので娘さんの獣医学部入学を機に、この分野の小説を書こうと思いついたそうだ。

 本書の内容はすでに少し書いてしまったが、人ともしゃべれない主人公が、慣れない寮生活をしながら、同級生や先輩後輩、アルバイト先の動物病院や大動物実習の獣医師ならびに農家の人々を介して成長してゆく様を描いている。やはり人間って人を介して成長する生き物なんだなとつくづく思った。その間には、先輩への初めての恋や、育ての親である祖母の死があったりして、何回か涙腺がゆるんだ。特記したいのは、獣医学的な記載が正確でとても細かく描かれているということだ。これまでに獣医師が登場する映画やドラマ、漫画などを多く観たが、明らかに獣医学的におかしい場面や記述を発見することが多かった。著者は看護師で医学的な知識はあると思うが、動物治療に関しては知らないはずだ。だから藤岡さんの取材力はとても高い能力だと思われる。さすが元記者だ。

 私は藤岡陽子さんのことも、この本の内容も知らないまま講演会に参加してしまったが、話を聞いているうちに、獣医学生の成長の話であることが分かった。最後に参加者から著者へ質問ができる時間が設けられた。どうやって小説家になれるのか?とか中には息子さんが獣医大学に入学している人からも質問があった。よせばいいのに、私もド緊張の中で手を挙げてしまった。まず私はまだ本を読んでいないことをわびた。何故か会場からはどっと笑いの声があがった(やっぱり事前に読むのが常識みたい)。私は「この本は獣医学生の成長の話を描いたそうですが、是非、獣医師となって社会に出てからの物語を書いてください。なぜなら多くの獣医師が社会で揉まれてすばらしく成長している様を多く観ているからです」と発言した。ここで会場から拍手喝采が起きた。私は会場を盛り上げる素質があるらしい。結局、講演会の後に本を購入しサインを頂いた。

 それから1ヶ月半が経ち、本屋に行くとこの本が新刊のところで山積みになっているのを何回か見た。また今日の新聞にも大きく「はやくも第6刷!」と比較的大きな広告が出ていた。とても売れているらしい。もしかしたら映画化するかな?それを楽しみに待ちたいと思う。

読書記録「生の幸い、命の煌めき」鈴木秀子著

 1997年に発行された少し古い本である。文章の語り口がとても優しくて読みやすい。素直に頭の中に入るというか「こころのなか」に入り込む文章だった。著者は多くの本を書いていると思うが、この本以外も読みたいと思った。実は私はこれまで著者の鈴木秀子さんのことは全く知らなかった。

 どのエピソードも心に染みわたる内容だ。人生には何も悪いことをしていないのに、災難に見舞われる人が多い。私も同じ経験をしている。それぞれのエピソードには主人公が描かれており「災難にも何か意味があり、その意図を受け入れることで苦しみから抜けだし、前向きに生きる」様が描かれている。著者の鈴木さんはそのような人たちに寄り添い、人を癒やしている。私も息子のときには、看護師さんや医療ケースワーカー、リハビリの方たちに寄り添ってもらい、どうにか苦しみを乗り越えてきた。感謝していると同時に私もそのような人たちの役に立てる存在になりたいと思うようになった。お世話になったひとたち直接ではないが、めぐり巡って恩返しをしたいと考えるようになった。

 この本で、鈴木秀子さんのファンになってしまった。これからもブログで読書の報告をすると思うのでよろしくお願いします。

読書記録「運気を磨く 心を浄化する三つの技法」田坂広志著

 以前、紹介した「死は存在しない」の著者である田坂広志さんの著作である。本の帯に「幸運は不運な出来事の姿をして、やってくる」と書いてある。まさに「人間万事塞翁が馬」と同じことを言っている。一見、不幸なことに見舞われても、そのおかげで幸運なことに巡り会えたと言うことは多い。そのようなエピソードを多く含んでおり、また読み応えのある内容となっている。

 私はNLPNeuro Linguistic Programming:神経言語プログラミング)を少し勉強しているが、著者の田坂さんもNLPを勉強していると思われる。実は本書の内容はNLP講習会で学習した手法が多く書かれている。人間は意識的な生き物だと思っている人がほとんどだと思うが、実はそのほとんどは無意識の世界に支配されている。その「無意識」の能力を最大限に活かし、ストレスなく生活できる技術を身につけるのが理想的である。NLPはその仕組みについて科学的に組み立てられたプログラムである。興味のある人はWeb上で調べたり、本も多数出版されているので読んでもらいたい。NLPは一見すると宗教活動のような印象を受けるが、習ったことを実社会に応用すると、スムーズに仕事が進むことを感じることであろう。確かに講習会によっては、法外な金額を提示しているので、まずは本を読むことからはじめた方が安全だと思う。

ベトナム出張

 ベトナムホーチミンに仕事で来ました。日本は急に涼しくなってしまいましたが、こちらはつい最近までの日本のように蒸し暑くて毎日のようにゲリラ豪雨があります。待ちには車とバイクがあふれ、とても活気があります。歩道などは舗装が十分ではなく、注意して歩かないと転びそうです。またバイクも車も信号は無視しますので、信号が青になっても周りを注意して渡らないと危険です。食べ物などの値段は、日本より若干安い程度です。日本円は本当に弱くなってしまいましたね。スマホは最新の機種を使っている人が多いです。東南アジアに来ると、上昇している国と日本のように(言い方悪いけど)落ちていく国の差がよく分かります。でもこれでいいのかもしれません。日本も40年位前はこちらと同じ状況でしたし、これからは成熟期なのだと思います。でも頑張りましょうね「日本」!

読書記録「夜と霧」ヴィクトール・フランクル著(池田 香代子訳)

 1946年に出版されたヴィクトール・フランクルによる書籍である。精神科医である彼が第二次世界大戦中にナチス強制収容所に収監された経験をもとに、医師と研究者の立場で「生きることとは何か」について淡々と書かれた本である。極限状態でも鋭い観察力で「人間」について描かれている。もちろん悲惨な内容も含まれているが、冷静な文体で強制収容所という特別な環境も、その前のふつうに生活している環境でも、生きるということは決して楽ではない」ということが良く分かった。

 新聞の悩み相談を読んでいたところ、相談者の質問に対して回答者の姜尚中さんが、この本を引用していた。私も本の題名は知っていたものの内容を知らなかったことが頭に残り、ふらっと本屋に行ったときに衝動買いしてしまった。

 この本の中で印象に残ったエピソードのひとつに、多くの収容所から開放された人々は地元に戻った後に、近所の人に「とても大変な経験をした」と話したらしいが、地元の彼らも「私たちも大変だった」と話を聞いてくれなかったことがある。要するに、いくら自分がつらい大変な経験をしても、他人には理解が難しいということだ。

 もう一つのエピソードで心に残ったのは、ある青年期の少女が腸チフスで数日の命であることを悟ったときに、「いまは窓から見えるあの樹と話している。それが楽しみ。あの樹は魂には永遠の命があると言っている」「元気に何不自由なく生活しているときには気がつかなかったことが多かった。いまはそのときが貴重な大切な日々だったのがよく分かる。もっとその幸せをかみしめておけば良かった。」そして「(おそらく神様に)私にこのようなひどい経験をさせてくれてありがとう。」と言い安らかに永遠の眠りについたそうだ。まだ大人でない少女が、ここまで悟ることができたことに、改めて自分のことを振り返ることができた。

 私も息子を亡くす前は、日々前進することのみ考えてばかりいた。「いま現在を大切に感じ楽しむ」ということを忘れていたようだ。子供を亡くす経験は、私の人生の中では最大級につらい経験であったが(現在進行中でもあるが)、そのおかげで「毎日の日々を大切に楽しむ」ということに気がつくことができた。そして改めて20年間一緒に過ごした楽しかった日々を思い返している。本当はこんなことに気がつきたくはなかった。しかしこれも神様かもしくは産まれる前の自分(もし前世があるとしたら)が仕掛けたストーリーなのかもしれない。いまはどうか残りの人生は静かに迎えたいと願っている。本当にお願いします。