読書記録「夜と霧」ヴィクトール・フランクル著(池田 香代子訳)

 1946年に出版されたヴィクトール・フランクルによる書籍である。精神科医である彼が第二次世界大戦中にナチス強制収容所に収監された経験をもとに、医師と研究者の立場で「生きることとは何か」について淡々と書かれた本である。極限状態でも鋭い観察力で「人間」について描かれている。もちろん悲惨な内容も含まれているが、冷静な文体で強制収容所という特別な環境も、その前のふつうに生活している環境でも、生きるということは決して楽ではない」ということが良く分かった。

 新聞の悩み相談を読んでいたところ、相談者の質問に対して回答者の姜尚中さんが、この本を引用していた。私も本の題名は知っていたものの内容を知らなかったことが頭に残り、ふらっと本屋に行ったときに衝動買いしてしまった。

 この本の中で印象に残ったエピソードのひとつに、多くの収容所から開放された人々は地元に戻った後に、近所の人に「とても大変な経験をした」と話したらしいが、地元の彼らも「私たちも大変だった」と話を聞いてくれなかったことがある。要するに、いくら自分がつらい大変な経験をしても、他人には理解が難しいということだ。

 もう一つのエピソードで心に残ったのは、ある青年期の少女が腸チフスで数日の命であることを悟ったときに、「いまは窓から見えるあの樹と話している。それが楽しみ。あの樹は魂には永遠の命があると言っている」「元気に何不自由なく生活しているときには気がつかなかったことが多かった。いまはそのときが貴重な大切な日々だったのがよく分かる。もっとその幸せをかみしめておけば良かった。」そして「(おそらく神様に)私にこのようなひどい経験をさせてくれてありがとう。」と言い安らかに永遠の眠りについたそうだ。まだ大人でない少女が、ここまで悟ることができたことに、改めて自分のことを振り返ることができた。

 私も息子を亡くす前は、日々前進することのみ考えてばかりいた。「いま現在を大切に感じ楽しむ」ということを忘れていたようだ。子供を亡くす経験は、私の人生の中では最大級につらい経験であったが(現在進行中でもあるが)、そのおかげで「毎日の日々を大切に楽しむ」ということに気がつくことができた。そして改めて20年間一緒に過ごした楽しかった日々を思い返している。本当はこんなことに気がつきたくはなかった。しかしこれも神様かもしくは産まれる前の自分(もし前世があるとしたら)が仕掛けたストーリーなのかもしれない。いまはどうか残りの人生は静かに迎えたいと願っている。本当にお願いします。