読書記録「プレアデス星訪問記」上平剛史著

 2009年発刊の少し古い本である。著者が青年のときに宇宙人によってプレアデス星に連れて行かれた体験記である。おそらくほとんどの人が「作り話だ!」と感じると思う。実は5年ほど前にもこの本を読んだ。そのときは「こんな話は事実ではない」と思い、字面を追うだけで真面目に読んではいなかった。しかし最近になってなぜかまたこの本が読みたくなり、今度は真剣に時間をかけて読んだ。

 著者である「つよし」が16歳のある日、岩手県の野馬頭山(のばがしら)に栗やアケビなどを拾いに出たときである。昼のお弁当を食べて眠くなって草むらで横になったときに、UFOが近づき「つよし」をプレアデス星に招待した。プレアデス星人は科学も文明も考え方も地球人より高度に進んでいる。そこには貨幣文化はなく、人は損得では行動しない。食事も服もタダで与えられる世界である。何かを欲すると与えることができる人が与える文化である。確かに貨幣文化のおかげで、人間は自己優先になり、他者を落とし込んでいることが多々ある。貨幣文化がなく、欲しい人は与えられる人からものを与えられるのが当たり前になれば、競争はなくなり平和な世の中になるような気がする。作り話のような内容であるが、それぞれがかなり具体的で現実性をもっている。まるで本当に見てきたかのような正確な表現で書かれている。

 その後、「つよし」は無事に地球に戻るが、著者は見てきた記憶をすっかり忘れてしまう。それが定年を迎えた時に、プレアデス星を訪問したことを思い出すようにメッセージが降りたそうだ。現実に生活している時に、「この場面はプレアデス星で見たものと同じものだ」というデジャブのようなことが起こり、やはりあの経験は本当だったということが頻発したそうだ。

 自分は同様の経験をしたことがないので半信半疑であるが、このようなことがあっても良いと思っている。そして著者が何度も言っているように、「貨幣文化」がなくなれば、多くの問題が解決するのではないかと思っている。

 一度読んだ本をまた読みたくなるということは、私に対してメッセージを伝えたかった存在がいるのかもしれない。とにかく今回はとても楽しく読み進めることができた。再度読めたことに感謝している。ちなみに私と著者は同じ大学の同じ学部の卒業である。これも何かメッセージが含まれているのであろうか。

読書記録「大御宝としての日本人 対談 矢作直樹 はせくらみゆき」

 「矢作直樹」さんと「はせくらみゆき」さんの対談本である。本の帯にも書かれているが、今回の対談では「古事記日本書紀を知り、その時代の意識を共有」「縄文時代の見えないエネルギーの理解」「江戸時代に学び 足るを知る」「霊性を高めるための健康と食」「神は拝むものではなく自分の中にある」について語られている。

 矢作直樹さんは元東大医学部の教授でありながら、多くのスピリチュアルの経験があり、またそれらに関する著書も多数ある。今回も対談の中に多く出ているが、天皇制を維持する日本国民の特別性について語られている。矢作直樹さんは天皇制についての著書もあるので、近日中に読んでみたいと思っている。

 はせくらみゆきさんは、画家であり作家で多彩な活動を行っている方である。スピリチュアル系の著作も多い。

 今回は対談という本であったが、今度はそれぞれの方の実際に書いた著作を読んで感想文を書きたいと思う。

読書記録「ほどなく、お別れです それぞれの灯火」長月天音著

 デビュー作「ほどなく、お別れです」の次作である。前作で大学生だった清水美空は板東会館(葬儀場)の社員として働いているところから始まる。今作は社会人として美空が成長してゆく様子が中心として描かれている。相変わらず文章が読みやすく、すぐに物語の世界に没入してしまう。今回は4つの物語が書かれているが、また恥ずかしながら電車の中で泣いてしまった。

 ほとんどの人の人生はうまく行っているようで、実は意外と多くの人が突然の不幸に見舞われてしまう場合がある。葬儀というものは、残された家族にとって、次のステップに移れるように行われる儀式であることが良く理解できる。私自身も、昨年の息子との別れに続き、先月は実の母親がこの世を去った。それらはとても悲しいことであるが、葬儀社の方々の心のこもった葬儀進行に大変癒やされた。このシリーズを読むとすぐに涙腺が緩んでしまうのもそんな理由があるのだと思う。

 3作目もあるそうなので、近日中に読みたいと思っている。

読書記録「ほどなく、お別れです それぞれの灯火 長月天音著」

 デビュー作「ほどなく、お別れです」の次作である。前作で大学生だった清水美空は板東会館(葬儀場)の社員として働いているところから始まる。今作は社会人として美空が成長してゆく様子が中心として描かれている。相変わらず文章が読みやすく、すぐに物語の世界に没入してしまう。今回は4つの物語が書かれているが、また恥ずかしながら電車の中で泣いてしまった。

 ほとんどの人の人生はうまく行っているようで、実は意外と多くの人が突然の不幸に見舞われてしまう場合がある。葬儀というものは、残された家族にとって、次のステップに移れるように行われる儀式であることが良く理解できる。私自身も、昨年の息子との別れに続き、先月は実の母親がこの世を去った。それらはとても悲しいことであるが、葬儀社の方々の心のこもった葬儀進行に大変癒やされた。このシリーズを読むとすぐに涙腺が緩んでしまうのもそんな理由があるのだと思う。

 3作目もあるそうなので、近日中に読みたいと思っている。

読書記録「人物叢書 黒住宗忠 原 敬吾著」

 1960年に発行された大変古い本だが、2011年にも新装版第6刷まで発行されている息の長い本である。「黒住宗忠」は江戸時代の終わりに宗派神道の先駆けとなる黒住教の教祖である。宗忠は相次ぐ両親の病死により心身を病み、周囲からはもう駄目だと諦められた状態から天照大神の天命を受けて自らの病を癒やし、周囲の人々の病気も治療し、その教えを広めたという人物である。この本の著者である原敬吾は、宗忠の起こした奇跡とキリストの奇跡とを対比して、それらはほとんど同じことであると述べている。黒住教は現在も岡山中心に存在する教団である。

 本文中にも述べているが、宗忠の言っている「天照大神」は、いわゆる日本の神話に出てくる天照大神だけでなく、地球や宇宙全体すべてを含む創造主を示していると思われる。宗忠は大病を患い、もう駄目だというときに、風呂に入り、太陽を拝んで「ありがたい」と感謝をすることによって「復活」したそうだ。宗忠の弟子は身分も関係なかったそうだ。

 宗忠自身や宗忠の祈りによって病気が平癒した事例が多く書かれている。昔から現在まで、不治と思われていた病が治ってしまうという現象が報告されている。現在の常識的な医学では証明ができないことであるが、実際に経験したという人の話も聞いたことがある。どうして治ってしまうのか、いまの科学では証明できないが、そのうち明らかになるのであろう。もしかしたら私の息子も助けられたのかもしれないと思うと、いまの時代に宗忠がいなくてとても残念であった。

読書記録「ほどなく、お別れです 長月天音」

 著者は長月天音(ながつき あまね)さんです。夫の5年間にわたる闘病生活を支え、死別から2年の歳月をかけて書き上げたデビュー作です。この作品は第19回小学館文庫小説賞を受賞しています。

 大学生の清水美空は東京スカイツリー近くにある葬儀場「板東会館」でアルバイトをしています。板東会館には、訳ありの葬儀ばかりを担当する漆原という男性葬祭ディレクターがいます。美咲は就職活動がうまく行かず、気分が落ち込んでいたのですが、漆原の「遺族に寄り添い、区切りとなる儀式を行って一歩先へと進むお手伝いをする」という仕事をこなす様を見て、板東会館への就職を決めます。3つのエピソードを混ぜて感動的に書いてあります。

 恥ずかしながら、電車の中で読んでいて泣いてしまいました。文章はとても読みやすく、すーっと心の中に入ってきます。美咲には霊感がありますが、本当に感動的に表現されています。小説はあまり読まない方ですが、長月さんの本をもっと読みたくなりました。是非、手に取って読んでみてください。

 ドラマ化もしくは映画化してくれないかと妄想しています。美空役には「小芝風花」さん、漆原役には「谷原章介」さんを勝手に考えています。どうか願いが叶いますように。

読書記録をしようと思う

 子供の頃から読書をほとんどすることがなかった。そんな私が10年ほど前にIT企業経営者と知り合いになり、おすすめの本を半ば強制的に読むことになり、習慣化してしまった。その経営者は中国の歴史物が好きなようで、おかげで三国志付近の中国の歴史に興味を持つことができた。その他に強力に勧められたのはスピリチュアル系の本である。

 ひと昔前はスピリチュアル系の話をすると、煙たがられるのが普通だった。しかし最近は日本でもだいぶ受け入れられる様になったと思う。私も全くの物質主義者で、このスピリチュアル系統の話をうさん臭く思っていたものだ。

 ところが世の中の進歩は私が子供の頃に思っていた様なスピードでなく、意外と遅いことが分かった。要するに私が生まれた60年ほど前と根本的なことは何も変わっていない。いまだに飛行機や新幹線での移動が中心で、60年前と全く同じである。2000年以降に車は空を走るようなイメージをしていたが、相変わらず地表を走っている。また人の生活はますます良くなり、楽しいことだらけのバラ色の生活を送るものだと思っていた。でもそれは高度成長期に作られた単なるイメージであることが明らかになった。そう言うわけで、私のこれまでの物質主義中心の考えが揺らぎ始めた。IT企業経営者も同じような感覚を持っていたのであろう。だから物質主義ではないスピリチュアルの世界に興味を持ったのかもしれない。

 そんな私が不思議な経験をたくさんしたのは数年前のことだ。テレビで不思議現象が良く取り上げられるが、それと同じようなことを経験した。テレビでは、誰もいないのに音が鳴ったり、ものが動いたりする動画が放映されている。自分が経験するまでは、作り物だと思っていた。しかし経験してしまった私はもう真実として受け入れるしかなかった。IT企業経営者と出会い、スピリチュアル系の本を読むことになったのは、この経験の準備のためだったのかもしれない。これらの本を読むことで、世の中には科学的に解明されていない多くの存在や現象があることを知った。でも心の奥底では信じてはいなかった。しかし経験してしまったいまの私はそれらの存在を信じている。

 ということで私の読んだ本を自分自身の備忘録として記録を残したいと思う。